今回は2005年に行ったポルトガルへの旅のお話
日本からポルトガルまでは直行便がないため、ポルトガルの首都リスボンについたのは、日本を出発して2日後の夜中だった。今回の目的地は首都リスボンからタクシーで1時間ほど北上したペニーシェという町。あらかじめ日本から予約をしていたホテルに着いたのは夜中の3時。長時間の移動で疲れていたこともあって、この日は歯も磨かずに倒れるように寝てしまった。翌朝10時、まぶしい太陽の光で目をさます。部屋の窓から外を見下ろすとそこには、真っ白なビーチと、オレンジ色の屋根をつけた真っ白な家々、そして石畳の道路が見えた。既にビーチにはたくさんのヨーロピアンたちが日光浴を楽しんでいた。出発前に想像していたヨーロッパのビーチリゾートそのままだった。朝ごはんのフランスパンサンドイッチを食べ、歩いて10分くらいのところにあるペニーシェサーフキャンプのオフィスに情報を聞きに出かけた。
出迎えてくれたのは社長のリオとフェルナルド。 リオは体がでかいがメローで優しいそうな性格、生まれも育ちもペニーシェで、本業はポルトガルでは数少ないシェイパーの一人だ。今回はこの二人が、僕のサポートをしてくれることになった。2日後位からサイズアップしてくるという。帰る日までには良い波に乗りそうな気がした。この日はペンションの目の前であるビーチブレイクでサーフすることにした。 波は腹サイズ、水温は3mmジャージでちょうど良いくらい。 波質は千葉のビーチブレイクのようだけど、海から見えるロケーションはVery Europeanだった。
2日目も朝早くから波チェックに出るがやはり波が小さく、風もオンショアにまわってノーサーフ状態。せっかくなのでこの日は観光に出かけることにした。電車にのってリスボンへ、この地名はイギリス人が命名らしく、現地では「リシュボア」と呼ぶらしい。 テージョ川という川のそばにある「ベレンの塔」、「発見のモニュメント」といった観光名所を巡った。 日本へキリスト教や鉄砲を伝えに行った伝道師たちがかつてこの場所から旅立ったことを思うと、不思議な臨場感に包まれた。
その日の夜、ペニーシェに戻ってリオとフェルナルド兄弟と食事をした。 彼らの話によるといよいよヨーロッパもサーフィンブームの到来でドイツやスイスなど海のない国からもサーファーが来るようになってきたそうだ。
ポルトガルは海鮮料理が安くて新鮮、名物はイワシの塩焼き、リゾットや貝の塩茹でとかもあって最高としか表現できなかったほどだった。帰り際にリオが明日の午後、ペニーシェ近郊にあるサーフポイントを案内してくれると言ってくれた。
明朝、吹き続けていた風がおさまった。波も頭くらいまでサイズアップしていたので目の前のビーチでお昼までサーフィンをした。午後はリオのクルマでのポイントガイド。 ビーチブレイクやリーフのポイントブレイク、どこもサイズが頭以上あって良い感じだ。最後に案内してくれたのがスーパーチューブス。WCTの会場にもなるポイントだ。 サイズは胸~肩くらいだが完璧にチューブになっている。 リオに、ここでやろうと促された。さっそくウェットスーツに着替えて海へ。 サイズが小さいのでテイクオフは楽、タイミングを合わせるだけでチューブに入れる良い波で最後を締めくくった。
この旅は10日間の行程だったけどとても満足することができた。
波だけを求めるならインドネシアやモルジブの方が良いが、サーフィンというフィルターを通してその国の文化やローカリズムに触れるのもまた旅の醍醐味だとおもっている。