旅とサーフィンが好きすぎて1999年、サーフトリップで訪れたスリランカの村ヒッカドゥアで国内初のサーフショップA frame Surfを作ってしまった。
相棒となったローカルMamboのまわりには常に20人くらいの若いサーファーたちがいた。当時はサーフボードも少なく数本のボードをみんなでシェアしていた。
日本と違うパワフルな波で二つに折れて捨てられていたサーフボードをリペアして使うなんていうのも当たり前だった。
俺がショップを作った動機は、外国人サーファーたちにも負けないローカルスターを育てる事とスリランカにサーフカルチャーを根付かせたいと思ったからだ。
そして、このショップに何かしらかかわることで彼らが大人になったときに幸せになれば最高だとも思った。
そんな考えもあり、ヒッカドゥワに暫く身を置くことにした。
俺は、日本で契約してきた旅行社からお客さんがくれば店の前のポイントや別のサーフポイントをガイドしながら一緒にサーフィンをした。
すると、サーフィンを楽しんだお客さんたちがMamboのレストランでご飯を食べ、帰りがけにショップで買い物をしていってくれる。
翌年の2000年にはレストランの上に宿を作ったのでお客さんたちは宿泊もできるようになった。
お金のやり繰りを含め大変なこともたくさんあったが、自分の人生の中ではかなりのゴールデンタイムだったと今でもいえる。
対照的な国民性
自分がヒッカドゥワという海外の観光地に長く居て思ったこと。
ヨーロッパの人たちは1ヵ月単位でホリデーをとるので現地ガイドを使わずに自分たちでなんとかしようとする。
多くの人が英語も話せるのでゆっくりと情報収集をして最も安い金額で自分たちにあったプランをコーディネイトする。海に入ればアグレッシブに波乗りをする人も多い。そして夜はパーティではしゃぎまわる。
それに対して日本人は1週間から長くても10日間で帰ってしまう人がほとんどだ。
英語が得意でない人が多いのと多少お金が掛かっても効率よく遊ぶために現地のガイドを使うし、サービスが良ければチップやプレゼントをたくさんくれる。
海の中でもローカルをリスペクト、ガツガツと波に乗りまくったりしない。そして朝早くから海に行きたいのでパーティが始まる前には床につく。
ヨーロピアンと日本人、両方見ているとなんとも対照的だった。
ローカルたちへの影響
自分がいたことでローカルのみんなにどういう影響があったのか?一番は日本からのお客さんが増えたことで、日本人の女性とローカルボーイズたちが少なくとも10組はゴールインしたことだろう。
結婚後に日本に来て働く者もいた。しかし男性がスリランカ女性と結婚という話は聞かなかった。
それはスリランカの女性は家から自由に外に出してもらえないという暗黙の掟があるからだった。俺たちがパーティやイベントを企画しても男しかいない。男は酒を呑み、パーティも楽しめて自由奔放だ。首都のコロンボは少し変わってきているようだったが、それ以外の地域で女性がイベントに参加したりデートしたりするのはこの上なく不謹慎と見なされるようだった。
スリランカではお見合いや許嫁(いいなずけ)など昔の日本にもあった結婚は家同士の結びつきのためのものという伝統をそのまま継承していた。
伝統と言えば、ほかにもご近所同士で調味料を借りあったり、テレビがある家に近所の人たちが集まって盛り上がっていたりと昔の日本映画でみるようななんとなく懐かしい光景を何度も目にした。
話を戻すが日本とスリランカでは物価がだいぶ違う。
日本人と結婚したローカルボーイズの中には、日本で働きコツコツと貯めたお金で現在はレストランのオーナーやお土産屋さんを経営している仲間も多い。青年だった彼らが大人になって色々な人生を歩んでいる。
そんな人間ドラマも A frameのブランドエッセンスだと思っている。