Travel Brog

カリフォルニア編
私は1967年生まれ、サーフィンを始めたのは映画「ビッグ・ウェンズデイ」に心を打ちぬかれてから。20歳の時にスケートボードのカルチャーを知りたくて真剣に訪れて以来、西海岸には何度も足を運んできた。 友樹はボストンの大学に留学したのをきっかけにそのままアメリカで就職。 この時はベニスビーチで不動産の会社で働いていました。20年以上もアメリカで生活しているので日本語が流れない。 そして、現地での生活は優雅、サーフボードも20本以上している。 朝6時、友樹の家のブレンダーが低い音を立てて、ホウレンソウやマンゴーなど入ったスムージーを渡される。 それを飲み干すと、僕らは車で405号を南へ向かった。 トラッセルズでは来週にWCTが開催されるので世界トッププロが集中している。 比較的空いていそうなハンティントンエリアが良いだろうということになった。4フィートのグリグリに巻いたチューブの波。 僕らは遠慮して、空いている場所で波乗りを楽しんだ。 今回はオーバーチャージを避けて手ぶらで来たので友樹にボードを貸す。 「クリステンソン」のツインフィン。 ボードを半分にしたような形でテイクオフがとにかく早い。 海から上がるとこの近くに住んでいる友樹の友人の家に行った。 静かな家の遊び裏にコンクリートのスケートプールが姿を現す。 家の主人は40代半ばくらいの人だけど、波乗りもスケートも両方好きで仲間たちと楽しむために10年前くらいに作ったそうだ。最近は自分ではあまりないけど、近所の子供が練習しに来たり世界のトップスケーターたち午後はこの家で過ごした。 サンダルしか履いてこなかったのを悔やんだが、スケートボードを借りて裸足で遊ばせてもらった。 日が傾く頃、僕らは友樹の家があるベニスビーチに戻った。 この日の晩、友樹がジョシュアツリーに行ってきました。 翌朝、友樹夫婦と僕の3人はお決まりのスムージーを飲んでから車でジョシュアツリーに出た。 ベニスビーチから3時間くらい怖くて、国立公園の管理棟を過ぎて、フロントガラスの先に広がって、赤茶けた岩と乾いた空気に言葉を語れた。LAには過去に10回ほど来ているけど、こんなところがあるなんて知らなかった。 僕らは3時間ほど公園内を探索した。 足元はザラザラの砂利、奇石をひとつまたぐたびに背中から汗が流れた。 Day3 翌朝はニューポートビーチに向かった。 この日は週末ということもあってメジャーポイントは遠慮しているので、友樹オススメのマイナーな場所へ移動した。 少しバックウォッシュが入っているもの、三角波で空いている。 サイズは肩くらい。 サーフィン文化の中に快適とも言えるカルフォルニアは色々な人がいる。今日はホームセンターで売っているようなソフトボードに乗った人がいた。 午後はハンティントンをゴルフカートでドライブしたりサーフショップを試してみたりした。 道路にケリースレーターやトムカレンなど歴代のスター選手の手形と足形がある。...
カリフォルニア編
私は1967年生まれ、サーフィンを始めたのは映画「ビッグ・ウェンズデイ」に心を打ちぬかれてから。20歳の時にスケートボードのカルチャーを知りたくて真剣に訪れて以来、西海岸には何度も足を運んできた。 友樹はボストンの大学に留学したのをきっかけにそのままアメリカで就職。 この時はベニスビーチで不動産の会社で働いていました。20年以上もアメリカで生活しているので日本語が流れない。 そして、現地での生活は優雅、サーフボードも20本以上している。 朝6時、友樹の家のブレンダーが低い音を立てて、ホウレンソウやマンゴーなど入ったスムージーを渡される。 それを飲み干すと、僕らは車で405号を南へ向かった。 トラッセルズでは来週にWCTが開催されるので世界トッププロが集中している。 比較的空いていそうなハンティントンエリアが良いだろうということになった。4フィートのグリグリに巻いたチューブの波。 僕らは遠慮して、空いている場所で波乗りを楽しんだ。 今回はオーバーチャージを避けて手ぶらで来たので友樹にボードを貸す。 「クリステンソン」のツインフィン。 ボードを半分にしたような形でテイクオフがとにかく早い。 海から上がるとこの近くに住んでいる友樹の友人の家に行った。 静かな家の遊び裏にコンクリートのスケートプールが姿を現す。 家の主人は40代半ばくらいの人だけど、波乗りもスケートも両方好きで仲間たちと楽しむために10年前くらいに作ったそうだ。最近は自分ではあまりないけど、近所の子供が練習しに来たり世界のトップスケーターたち午後はこの家で過ごした。 サンダルしか履いてこなかったのを悔やんだが、スケートボードを借りて裸足で遊ばせてもらった。 日が傾く頃、僕らは友樹の家があるベニスビーチに戻った。 この日の晩、友樹がジョシュアツリーに行ってきました。 翌朝、友樹夫婦と僕の3人はお決まりのスムージーを飲んでから車でジョシュアツリーに出た。 ベニスビーチから3時間くらい怖くて、国立公園の管理棟を過ぎて、フロントガラスの先に広がって、赤茶けた岩と乾いた空気に言葉を語れた。LAには過去に10回ほど来ているけど、こんなところがあるなんて知らなかった。 僕らは3時間ほど公園内を探索した。 足元はザラザラの砂利、奇石をひとつまたぐたびに背中から汗が流れた。 Day3 翌朝はニューポートビーチに向かった。 この日は週末ということもあってメジャーポイントは遠慮しているので、友樹オススメのマイナーな場所へ移動した。 少しバックウォッシュが入っているもの、三角波で空いている。 サイズは肩くらい。 サーフィン文化の中に快適とも言えるカルフォルニアは色々な人がいる。今日はホームセンターで売っているようなソフトボードに乗った人がいた。 午後はハンティントンをゴルフカートでドライブしたりサーフショップを試してみたりした。 道路にケリースレーターやトムカレンなど歴代のスター選手の手形と足形がある。...

ポルトガル編
今回は2005年に行ったポルトガルへの旅のお話 日本からポルトガルまでは直行便がないため、ポルトガルの首都リスボンについたのは、日本を出発して2日後の夜中だった。今回の目的地は首都リスボンからタクシーで1時間ほど北上したペニーシェという町。あらかじめ日本から予約をしていたホテルに着いたのは夜中の3時。長時間の移動で疲れていたこともあって、この日は歯も磨かずに倒れるように寝てしまった。翌朝10時、まぶしい太陽の光で目をさます。部屋の窓から外を見下ろすとそこには、真っ白なビーチと、オレンジ色の屋根をつけた真っ白な家々、そして石畳の道路が見えた。既にビーチにはたくさんのヨーロピアンたちが日光浴を楽しんでいた。出発前に想像していたヨーロッパのビーチリゾートそのままだった。朝ごはんのフランスパンサンドイッチを食べ、歩いて10分くらいのところにあるペニーシェサーフキャンプのオフィスに情報を聞きに出かけた。 出迎えてくれたのは社長のリオとフェルナルド。 リオは体がでかいがメローで優しいそうな性格、生まれも育ちもペニーシェで、本業はポルトガルでは数少ないシェイパーの一人だ。今回はこの二人が、僕のサポートをしてくれることになった。2日後位からサイズアップしてくるという。帰る日までには良い波に乗りそうな気がした。この日はペンションの目の前であるビーチブレイクでサーフすることにした。 波は腹サイズ、水温は3mmジャージでちょうど良いくらい。 波質は千葉のビーチブレイクのようだけど、海から見えるロケーションはVery Europeanだった。 2日目も朝早くから波チェックに出るがやはり波が小さく、風もオンショアにまわってノーサーフ状態。せっかくなのでこの日は観光に出かけることにした。電車にのってリスボンへ、この地名はイギリス人が命名らしく、現地では「リシュボア」と呼ぶらしい。 テージョ川という川のそばにある「ベレンの塔」、「発見のモニュメント」といった観光名所を巡った。 日本へキリスト教や鉄砲を伝えに行った伝道師たちがかつてこの場所から旅立ったことを思うと、不思議な臨場感に包まれた。 その日の夜、ペニーシェに戻ってリオとフェルナルド兄弟と食事をした。 彼らの話によるといよいよヨーロッパもサーフィンブームの到来でドイツやスイスなど海のない国からもサーファーが来るようになってきたそうだ。 ポルトガルは海鮮料理が安くて新鮮、名物はイワシの塩焼き、リゾットや貝の塩茹でとかもあって最高としか表現できなかったほどだった。帰り際にリオが明日の午後、ペニーシェ近郊にあるサーフポイントを案内してくれると言ってくれた。 明朝、吹き続けていた風がおさまった。波も頭くらいまでサイズアップしていたので目の前のビーチでお昼までサーフィンをした。午後はリオのクルマでのポイントガイド。 ビーチブレイクやリーフのポイントブレイク、どこもサイズが頭以上あって良い感じだ。最後に案内してくれたのがスーパーチューブス。WCTの会場にもなるポイントだ。 サイズは胸~肩くらいだが完璧にチューブになっている。 リオに、ここでやろうと促された。さっそくウェットスーツに着替えて海へ。 サイズが小さいのでテイクオフは楽、タイミングを合わせるだけでチューブに入れる良い波で最後を締めくくった。 この旅は10日間の行程だったけどとても満足することができた。 波だけを求めるならインドネシアやモルジブの方が良いが、サーフィンというフィルターを通してその国の文化やローカリズムに触れるのもまた旅の醍醐味だとおもっている。
ポルトガル編
今回は2005年に行ったポルトガルへの旅のお話 日本からポルトガルまでは直行便がないため、ポルトガルの首都リスボンについたのは、日本を出発して2日後の夜中だった。今回の目的地は首都リスボンからタクシーで1時間ほど北上したペニーシェという町。あらかじめ日本から予約をしていたホテルに着いたのは夜中の3時。長時間の移動で疲れていたこともあって、この日は歯も磨かずに倒れるように寝てしまった。翌朝10時、まぶしい太陽の光で目をさます。部屋の窓から外を見下ろすとそこには、真っ白なビーチと、オレンジ色の屋根をつけた真っ白な家々、そして石畳の道路が見えた。既にビーチにはたくさんのヨーロピアンたちが日光浴を楽しんでいた。出発前に想像していたヨーロッパのビーチリゾートそのままだった。朝ごはんのフランスパンサンドイッチを食べ、歩いて10分くらいのところにあるペニーシェサーフキャンプのオフィスに情報を聞きに出かけた。 出迎えてくれたのは社長のリオとフェルナルド。 リオは体がでかいがメローで優しいそうな性格、生まれも育ちもペニーシェで、本業はポルトガルでは数少ないシェイパーの一人だ。今回はこの二人が、僕のサポートをしてくれることになった。2日後位からサイズアップしてくるという。帰る日までには良い波に乗りそうな気がした。この日はペンションの目の前であるビーチブレイクでサーフすることにした。 波は腹サイズ、水温は3mmジャージでちょうど良いくらい。 波質は千葉のビーチブレイクのようだけど、海から見えるロケーションはVery Europeanだった。 2日目も朝早くから波チェックに出るがやはり波が小さく、風もオンショアにまわってノーサーフ状態。せっかくなのでこの日は観光に出かけることにした。電車にのってリスボンへ、この地名はイギリス人が命名らしく、現地では「リシュボア」と呼ぶらしい。 テージョ川という川のそばにある「ベレンの塔」、「発見のモニュメント」といった観光名所を巡った。 日本へキリスト教や鉄砲を伝えに行った伝道師たちがかつてこの場所から旅立ったことを思うと、不思議な臨場感に包まれた。 その日の夜、ペニーシェに戻ってリオとフェルナルド兄弟と食事をした。 彼らの話によるといよいよヨーロッパもサーフィンブームの到来でドイツやスイスなど海のない国からもサーファーが来るようになってきたそうだ。 ポルトガルは海鮮料理が安くて新鮮、名物はイワシの塩焼き、リゾットや貝の塩茹でとかもあって最高としか表現できなかったほどだった。帰り際にリオが明日の午後、ペニーシェ近郊にあるサーフポイントを案内してくれると言ってくれた。 明朝、吹き続けていた風がおさまった。波も頭くらいまでサイズアップしていたので目の前のビーチでお昼までサーフィンをした。午後はリオのクルマでのポイントガイド。 ビーチブレイクやリーフのポイントブレイク、どこもサイズが頭以上あって良い感じだ。最後に案内してくれたのがスーパーチューブス。WCTの会場にもなるポイントだ。 サイズは胸~肩くらいだが完璧にチューブになっている。 リオに、ここでやろうと促された。さっそくウェットスーツに着替えて海へ。 サイズが小さいのでテイクオフは楽、タイミングを合わせるだけでチューブに入れる良い波で最後を締めくくった。 この旅は10日間の行程だったけどとても満足することができた。 波だけを求めるならインドネシアやモルジブの方が良いが、サーフィンというフィルターを通してその国の文化やローカリズムに触れるのもまた旅の醍醐味だとおもっている。

コスタリカ編
今からおよそ30年前の1995年、中米のコスタリカに行った時のお話 エンドレス サマーという映画に魅せられて、コスタリカに興味を持った。国の名前の由来を調べてみたら黄金の海岸という意味だった。 当時、働いていた自由が丘のスキーショップに来店した日系カナディアンのマキトという青年と仲良くなった。 ジャングルがすぐ近くにあって野生動物が身近、そして軽い犯罪はあるけどとても治安が良い事。 こんなアドベンチャーな話を聞いてすごく興味がわいたので、友人と二人で行ってみようかと思いました。 経由地につくとレンタカーを借りてハンティントンビーチを目指した。 フボードを購入したら、そのボードでハンティントンビーチのピアでサーフィンを楽しんだ。ここは僕にとってサーフィンという言葉を考えるに一番効果のある場所だと思う。 フォーカスカのサンホセ空港に到着したらレンタカーを借りてレンタカー屋の兄さんに海の方を指さしてもらって車を走らせた。夜だったので不安になりながら2時間(100㎞ )ドライブしてハコー(ジャコ)という町にたどり着いた。 ハコーは空港から一番近いサーフタウンだとマキトが言っていたのを思い出した。町を眺めているとたまたま空きの標識を見つけたのでそこに宿があることにした。ナビも地図も道路指示だけを気をつけて行っていたので安堵感と達成感でとても充実した気分だった。 朝、目が覚めましたと、ハコーやヘルモサビーチをチェック、ハコーは優しい波質だったがヘルモサはリップの厚いパワーのある波質だった。この波を二日間堪能したのち、ハコーからマキトがキャンプをしていたというドミニカルという村に向かった。 4WDで走れないほどの悪路を走破した。途中でエスタリロスというポイントを偶然見つけた。波が小さくて誰でもサーフィンをしていたなかったが素晴らしいロケーションだし、お腹が空き始めていたのでビーチにあるレストランで食事をしたことに。 レストランのウェイターがロータイドになれば波が上がるからもう一時間待ってみろと言うので半信半疑でゆっくりして胸~肩くらいのファンウェーブがブレイクし始めたんじゃないか!とっさにトランクスに歩いて海にジャンプした。 優しい波とヤシの木に囲まれた南国のビーチブレイクの光景は30年経った今でも思い出に残っている。 美しい自然と雰囲気が盛り上がったのでここの近くで1泊した。 そして俺たちはまたドミニカルに向かった。 ハカラドミニカルはおよそ100㎞、しかしほとんどが舗装されていない悪路だったのでかなり時間を要した。 ドミニカルは数件の宿とレストランがあるちいさな村だった。 波はヘルモサのようにパワーのある波で中級者であれば楽しめる波だった。 その後も2度ほど再訪問して北部のウィッチーズロックやプラヤネグラなど行ってみた。 どこも素晴らしいポイントだった。 PuraVida 写真:フェリペ・サンチェス写真CostaRicaT2
コスタリカ編
今からおよそ30年前の1995年、中米のコスタリカに行った時のお話 エンドレス サマーという映画に魅せられて、コスタリカに興味を持った。国の名前の由来を調べてみたら黄金の海岸という意味だった。 当時、働いていた自由が丘のスキーショップに来店した日系カナディアンのマキトという青年と仲良くなった。 ジャングルがすぐ近くにあって野生動物が身近、そして軽い犯罪はあるけどとても治安が良い事。 こんなアドベンチャーな話を聞いてすごく興味がわいたので、友人と二人で行ってみようかと思いました。 経由地につくとレンタカーを借りてハンティントンビーチを目指した。 フボードを購入したら、そのボードでハンティントンビーチのピアでサーフィンを楽しんだ。ここは僕にとってサーフィンという言葉を考えるに一番効果のある場所だと思う。 フォーカスカのサンホセ空港に到着したらレンタカーを借りてレンタカー屋の兄さんに海の方を指さしてもらって車を走らせた。夜だったので不安になりながら2時間(100㎞ )ドライブしてハコー(ジャコ)という町にたどり着いた。 ハコーは空港から一番近いサーフタウンだとマキトが言っていたのを思い出した。町を眺めているとたまたま空きの標識を見つけたのでそこに宿があることにした。ナビも地図も道路指示だけを気をつけて行っていたので安堵感と達成感でとても充実した気分だった。 朝、目が覚めましたと、ハコーやヘルモサビーチをチェック、ハコーは優しい波質だったがヘルモサはリップの厚いパワーのある波質だった。この波を二日間堪能したのち、ハコーからマキトがキャンプをしていたというドミニカルという村に向かった。 4WDで走れないほどの悪路を走破した。途中でエスタリロスというポイントを偶然見つけた。波が小さくて誰でもサーフィンをしていたなかったが素晴らしいロケーションだし、お腹が空き始めていたのでビーチにあるレストランで食事をしたことに。 レストランのウェイターがロータイドになれば波が上がるからもう一時間待ってみろと言うので半信半疑でゆっくりして胸~肩くらいのファンウェーブがブレイクし始めたんじゃないか!とっさにトランクスに歩いて海にジャンプした。 優しい波とヤシの木に囲まれた南国のビーチブレイクの光景は30年経った今でも思い出に残っている。 美しい自然と雰囲気が盛り上がったのでここの近くで1泊した。 そして俺たちはまたドミニカルに向かった。 ハカラドミニカルはおよそ100㎞、しかしほとんどが舗装されていない悪路だったのでかなり時間を要した。 ドミニカルは数件の宿とレストランがあるちいさな村だった。 波はヘルモサのようにパワーのある波で中級者であれば楽しめる波だった。 その後も2度ほど再訪問して北部のウィッチーズロックやプラヤネグラなど行ってみた。 どこも素晴らしいポイントだった。 PuraVida 写真:フェリペ・サンチェス写真CostaRicaT2

ハワイ編
今回はハワイにサーフトリップに出かけた時のエピソードです。 1998年12月、俺は仕事上で取引のあったある雑誌社の忘年会に招待された。モノ系の雑誌だったのでビンゴにはたくさんの景品が協賛されていた。なかなか揃わないなぁと思っていたら、なんと最後の景品一等のハワイ旅行5日間を当ててしまった。
ハワイ編
今回はハワイにサーフトリップに出かけた時のエピソードです。 1998年12月、俺は仕事上で取引のあったある雑誌社の忘年会に招待された。モノ系の雑誌だったのでビンゴにはたくさんの景品が協賛されていた。なかなか揃わないなぁと思っていたら、なんと最後の景品一等のハワイ旅行5日間を当ててしまった。

Under the Same Sun 2 ‐ スリランカ 編
モルジブボートトリップの続き モルジブボートトリップのメンバーはMale空港で解散した。その日の便で帰国する人、Maleに一泊して翌日帰る人、俺と仲間4人はMale空港を夕方出発して1時間半ほどスリランカのColombo空港へ向かった。
Under the Same Sun 2 ‐ スリランカ 編
モルジブボートトリップの続き モルジブボートトリップのメンバーはMale空港で解散した。その日の便で帰国する人、Maleに一泊して翌日帰る人、俺と仲間4人はMale空港を夕方出発して1時間半ほどスリランカのColombo空港へ向かった。

Under the same Sun 1 - モルジブ 編
2023年8月、仲間を募集してモルジブボート旅行へ出掛けました。 モルジブの波はリーフブレイクしては乗りやすい中級者以上であればみんなが楽しめる波。 8月10日、成田からスリランカ航空にて仲間3人とコロンボ空港に到着したらそこからヒッカドゥワへ向かった。飛行機が7時間もディレイしたおかげでヒッカドゥワに到着したのは深夜2時だった。スリランカで家族同然の仲間たちが眠らずに待ってくれた。その後すぐに宴が始まり床についたのは朝の7時だった。日本の夏らしいこの時期、南西部はモンスーンの途中でサイドからの風が吹き続けていて海面も少し荒れていた。4時間ほどの睡眠をとりまたコロンボ空港へ向かった。 11日19:00、マーレ空港に降り立った。 前回の集合場所、ここが今回の集合だ。 スリランカを経由した俺たち+東京、名古屋、宮崎から5名が総勢9名(男6、女3)) スリランカ経由、シンガポール経由。午前中に到着した人など到着はみなバラバラだ。 メンバーが揃ったところでプラカードをゆっくりとクルージングとも、背がでかくお腹が出ちゃったモルジブ人はまるでシュレック、ほぼメインシェフのようで、「今日作ったモルジブ料理をたっぷり堪能してくれます!」と精一杯の笑顔で愛嬌たっぷりだ。 写真:マーレ空港 勝手エスコートで空港からドーニと呼ばれる小船に乗って30分ほどかけてメインのボートに向かった。みんな海上での生活の始まりにワクワクしている! 写真:宿泊するボート このボートにはキャプテンをはじめ食事、掃除、メカニックなど8名のクルーが同乗している。 写真:ボートの最後尾にあるダイニング 来週の朝6時、停泊していた場所から錨を上げ船が動き出す。 まずは1時間ほど周囲にある刑務所へ。人もいたので入ることにした。波は肩~頭で早めの休憩だ。 モルジブのサーフポイントは島の端にあるパス(環礁)に沿って波がブレイクするので規則的なマシーンブレイクとなるのが潮の動きによっては強いカレントが発生する。この時間を見きわめられなければ永遠とパドリングを強いられることに。 写真:空からみたモルジブの島々 テイクオフするとガラスのように透けた波に感動する。 そしてリーフブレイク特有の一番下にパワーのある波。 比較的水深もありリーフブレイクに慣れていない人でも乗りやすい波だ。 Jailは特にウネリの向き次第でブレイクが変化する。 このときは少し早い波で平均50m程度の距離が乗れる波だった。 この日と翌日は刑務所で過ごし、3日目の朝、隣の島のパスでブレイクするスルタンズでサーフした。波は3~4フィート、モルジブでも特に人気のポイントということもあって50人ちかいサーファーで賑わっていた。 ピークは数か所あるので集中していれば波には乗れる。乗れば100mくらいの素晴らしい波だった。...
Under the same Sun 1 - モルジブ 編
2023年8月、仲間を募集してモルジブボート旅行へ出掛けました。 モルジブの波はリーフブレイクしては乗りやすい中級者以上であればみんなが楽しめる波。 8月10日、成田からスリランカ航空にて仲間3人とコロンボ空港に到着したらそこからヒッカドゥワへ向かった。飛行機が7時間もディレイしたおかげでヒッカドゥワに到着したのは深夜2時だった。スリランカで家族同然の仲間たちが眠らずに待ってくれた。その後すぐに宴が始まり床についたのは朝の7時だった。日本の夏らしいこの時期、南西部はモンスーンの途中でサイドからの風が吹き続けていて海面も少し荒れていた。4時間ほどの睡眠をとりまたコロンボ空港へ向かった。 11日19:00、マーレ空港に降り立った。 前回の集合場所、ここが今回の集合だ。 スリランカを経由した俺たち+東京、名古屋、宮崎から5名が総勢9名(男6、女3)) スリランカ経由、シンガポール経由。午前中に到着した人など到着はみなバラバラだ。 メンバーが揃ったところでプラカードをゆっくりとクルージングとも、背がでかくお腹が出ちゃったモルジブ人はまるでシュレック、ほぼメインシェフのようで、「今日作ったモルジブ料理をたっぷり堪能してくれます!」と精一杯の笑顔で愛嬌たっぷりだ。 写真:マーレ空港 勝手エスコートで空港からドーニと呼ばれる小船に乗って30分ほどかけてメインのボートに向かった。みんな海上での生活の始まりにワクワクしている! 写真:宿泊するボート このボートにはキャプテンをはじめ食事、掃除、メカニックなど8名のクルーが同乗している。 写真:ボートの最後尾にあるダイニング 来週の朝6時、停泊していた場所から錨を上げ船が動き出す。 まずは1時間ほど周囲にある刑務所へ。人もいたので入ることにした。波は肩~頭で早めの休憩だ。 モルジブのサーフポイントは島の端にあるパス(環礁)に沿って波がブレイクするので規則的なマシーンブレイクとなるのが潮の動きによっては強いカレントが発生する。この時間を見きわめられなければ永遠とパドリングを強いられることに。 写真:空からみたモルジブの島々 テイクオフするとガラスのように透けた波に感動する。 そしてリーフブレイク特有の一番下にパワーのある波。 比較的水深もありリーフブレイクに慣れていない人でも乗りやすい波だ。 Jailは特にウネリの向き次第でブレイクが変化する。 このときは少し早い波で平均50m程度の距離が乗れる波だった。 この日と翌日は刑務所で過ごし、3日目の朝、隣の島のパスでブレイクするスルタンズでサーフした。波は3~4フィート、モルジブでも特に人気のポイントということもあって50人ちかいサーファーで賑わっていた。 ピークは数か所あるので集中していれば波には乗れる。乗れば100mくらいの素晴らしい波だった。...